しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

地域コミュニティが1匹の老犬を救った話

 

 

わんこのいる生活

 

 

我が家に1匹目のわんこが来たのは震災の時だった。

 

ペットを飼うと決めたのは母だった。

 

母は根っからの受験ママで、誰かの面倒をみることに生きがいを持っている。

 

僕の受験も終わり、手のかからなくなった息子の代わりに面倒を見る相手を探していたのだろう。

 

それに、もうすぐ父も定年を迎えるので、父のセカンドライフをより楽しいものにしようとした一種の’はからい’なのだと思う。

 

父は元々ネコ派だったのだが、家の壁を傷つけられるのを恐れた母のゴリ押しにより、わんこを飼うことになった。

 

今は2匹のわんこと一緒に実家で暮らしている。

 

あれだけネコを推していた父もいざわんこを飼い始めると、メロメロ状態になってしまい、今では相思相愛で父がトイレに行くときも一緒だ。

 

7年間毎日、早朝と夜計2回散歩をするようになってから、ベルトの穴の数でいうと大体2つ分くらいのダイエットにも成功した。

 

それに、家族の会話の量も増えて性格が明るくなったような気がする。

 

我が家にわんこが来てから、心身ともに良いことづくめの父親なのだが、何より良いことはご近所付き合いが活発になったことだろう。

 

元々はウチのわんこが散歩をしていた時に、すれ違ったわんこにちょっかいを出したことがキッカケだ。

 

仲良くなった飼い主さんに、地域のわんちゃんコミュニティに招待してもらった。

 

そのコミュニティは、夕方5時頃になると地元のスーパーの裏にある芝生の公園に集まって、リードを外してわんこを自由に遊ばせる。

 

ウチは田舎なので、いたるところに公園や芝生のスペースがあり、無料ドッグラン状態なのだ。

 

7年間ほぼ毎日顔を合わせていれば、人間の方も仲良くなるわけで、今では犬友の方々と一緒に、’わんちゃん旅行’に行くほど仲が良い。

 

老犬との出会い

 

 

そんな父がその老犬と出会ったのは、普段の散歩の時間より少し早い時間帯だった。

 

いつもの散歩コースを歩いていると、道端に首輪をしていないダックスフンドが1匹でウロウロしていた。

 

相当な老犬のようで、3,4歩歩くと、コテンと倒れてしまい、10センチの段差も乗り越えられない程だったらしい。

 

周囲に飼い主らしき人はおらず、10分くらい見守っていたらしいのだが、一向に飼い主が現れる気配がない。

 

父はすかさず警察に電話をして、手続きを進め、一旦その老犬は警察の方で預かってもらうことになった。

 

規定では、1週間飼い主が現れなかったら保健所行きになってしまい、その後は殺処分されると警察から告げられた。

 

その晩、その話を聞いた母は、20人くらいのメンバーがいる犬友のLINEグループに迷子犬がいたことを報告した。

 

僕もその晩のやり取りを見せてもらったが、飼い主に対する批判や、その老犬の無事を祈る投稿がほぼ全員のメンバーから寄せられていた。

 

翌朝、そのメンバーのうちの1人が老犬を保護した場所の近くを散歩していた時に、1人のおばあさんから話しかけられた。

 

「このあたりで黒い毛のダックスフンドを見ませんでしたか?」

 

昨日のLINEでのやり取りを見ていたメンバーはピンと来た。

 

そのメンバーは、すかさずおばあさんに、今わんこは警察署で保護されている旨を伝えた。

 

なんでも、生まれてから家の外に一歩も出たことがなかったわんこのようで、飼い主がちょっと目を離した隙に少し空いていた窓から出て行ってしまったようだ。

 

まさかわんこが家出をするなど想像だにしていなかったそのおばあさんは翌朝になるまで、わんこがいなくなっていることに気づいていなかったらしい。

 

結果的に、そのダックスフンドは無事に飼い主の下へ帰ることができ、地域コミュニティが1匹のわんこの命を救ったと言えよう。

 

僕は、犬友のメンバーの大半は50代~60代なので、電子機器の操作は慣れていないと思っていた。

 

しかし、2日間のLINEのやり取りを見ていると、ものすごい連携とスピード感で話が進んでいたのには驚かされた。

 

ジジババコミュニティ侮ることなかれである。

 

地域コミュニティの可能性

 

 

現代は、家族や会社、趣味のつながりなど、1人がさまざまなコミュニティを持つ時代だ。

 

その中でも、近隣に住む人同士がつくる「地域コミュニティ(地域社会)」は伝統的に自治会や町内会、子ども会といった形で運営されてきた。

 

しかし、こういった繋がりは近年減り続け、特に都市部では地縁的なつながりはほぼ皆無と言ってもよいほど少なくなった。

 

背景には、下記の理由がある。

 

昼間、生活エリアに人々がいない

自営業の減少、サラリーマンの増加

 

人口移動が激しい都市部

人口移動の激しさと単身者が多さから地域活動への参加意識が高まりにくい

 

過疎化地等における一層の人口減少

地域活動の維持・活性化が困難

 

(※総務省資料『地域コミュニティの現状と問題』)

 

確かに、人と人とのコミュニケーションが希薄で、プライバシーにもうるさい時代ではあるが、地域コミュニティは大事にしなければならないと思う。

 

地域コミュニティのメリット

 

 

①防災意識向上・災害に備えた準備喚起

 

1995年に起きた阪神・淡路大震災では、倒壊した家屋等に閉じ込められた人々の多くは、救助隊員等のほか、家族や近所の住民によって救助されたという調査結果が出ている。

 

国土交通省『平成17年度国土交通白書』)

 

②共同体意識の強化

その土地に愛着を持ち定着したり、高齢になっても安心して生活できる場所がつくられる。

 

核家族化や結婚しない人たちが増えていることから、仕事関連のもの以外に自分のコミュニティを持たない人も増えてきている。

 

自分らしくいられるコミュニティを増やすことは、自分自身のライフスタイルを見直すきっかけにもなる。

 

今後の地域コミュニティ

 

 

さまざまなメリットを持つ地域コミュニティだが、実際には各種活動や繋がり自体をめんどくさいと捉える人も少なくないだろう。

 

しかし、2000年代後半から再び地域コミュニティに注目が集まり始め、活性化に向けた動きも活発になってきている。

 

その1つに、NPOやボランティア団体による“新しいかたち”の地域コミュニティが生まれていることが挙げられる。

 

企業のCSR活動や社会的価値の必要性が高まっていること、また仕事に社会性を求める若者が増えてきている。

 

「社会貢献」というテーマに集まる注目度は高く、そのニーズとマッチしたことで地域コミュニティが生まれ変わりつつあるのだ。

 

また地域コミュニティなどへの参加で複数のコミュニティを持つことは、ワークライフバランスにも意外な効果をもたらす。

 

昨今ニュースでよく取り上げられる長時間労働や過労などで苦しむ人がいた場合、自分が属すコミュニティが“会社”だけになってしまうことは、その異常さに気づけない点からとても危険だ。

 

コミュニティが増え、出会う人が増えれば、自分の置かれている状況を客観的に見ることができるようになり、改善に向けたアドバイスを得る機会も増えるだろう。

 

まとめ

 

 

人は1人では生きていけない。

 

友人や周囲の人と繋がり、認めあうことで安心を得て生きているのだ。

 

子供でも高齢者でも障害者でも、周囲の人たちのちょっとした気遣いや見守りの中で、支え合いながら暮らしている。

 

この当たり前のことを僕たちは今までもこれからも大事にしなければならない。

 

ご近所付き合いのない人は、隣人の方に挨拶をしてみるところから始めてみてはどうだろうか。