パブリックスタンド池袋店がOPENしたけど
月曜日から金曜日までの過酷な労働を耐え抜き、足かせが外れた多くのサラリーマンたちは世に放たれ、褒美として金曜日の夜に束の間の余暇を楽しむ。
家で待っている嫁が煩いと思っている中年サラリーマンも、メンヘラ彼女持ちの遊び盛りの新入社員も、彼女たちに「残業で帰りが遅くなる」とウソをついて、夜の街に繰り出す。
おそらく彼らが最初に向かう場所は居酒屋だろう。
誰が言い出したのかもわからない「とりあえず生!」というフレーズからようやく“彼らの時間”が始まる。
お酒を飲んで血中アルコール濃度が上昇させ、旨いものを食べて満腹中枢が満たすと「華金!華金!」と狂喜乱舞し、彼らは“無敵の人”に変貌する。
彼らは「食欲」を満たしただけではまだまだ満たされない。
やはり人間とは欲深い生き物で、1つの欲求が満たされると、次、また次、と欲求を満たそうとする。
人間の3大欲求のうち、彼らが次に満たそうと思うのはたいてい「性欲」だ。
やはり男という生き物はいつの時代もアホな下等生物である。
物事の判断基準はたいていち○こで測ると言っても過言ではない。 彼らが向かう先はおそらくパブスタだろう。
夜の21時ごろになると、彼らはまるで樹液に吸い寄せられるカブトムシみたいにPublic Standに集まる。
僕のブログの読者の方はもうご存知だとは思うが、Public Standはナンパをするためのバーだ。
Public Standは、相席屋のように店員が女の子をアテンドしてくれるようなシステムは一切無い。
自身のポテンシャルとスキルのみで女の子をハンティングする完全実力主義の戦場だ。
店舗は恵比寿、渋谷、新宿、銀座、六本木等夜遊びする街にはだいたいあって、入場料は男性は3000円程度で朝まで飲み放題だ。
しかし、Public Standという場所は必ずしも全員が性欲を満たせるわけではない。
一般的には、男性側が女性側にアプローチし、女性側からこの人良さそう!と思ってもらえて、2件目やホテルについて来てくれてら男性側の“勝利”とされる。
もちろん悠々と女の子を連れ出していく“勝者”もいれば、そうでない人もいる。
残念ながら誰からも相手にされなかった可哀相な人は“敗者”の烙印を押されてしまう。
しかし、男女の仲において「勝ち」と「負け」の定義は一体何なのだろうか。
もちろん人によって勝ち負けの定義は異なる。
おそらく大抵の男性は枕を交わすことをゴール=勝利として捉えているだろう。
僕の場合はそうではない。
実際に自分が枕を交わさなくても、はじめましての人と話ができるだけで割と満足できてしまう。
それに、新しい人との出会いは新しい価値観を自分にもたらしてくれる。
日常生活を普通に生きていると新しい人との出会いなんてそう簡単には生まれない。
でも、Public Standは「一緒に乾杯しましょう」の一声で簡単に出会いが手に入る。
僕にとっては誰かと話ができる時点で勝利で、それ以上でもそれ以下でもない。
僕はPublic Standという場所で純粋に人と人とのコミュニケーションを楽しみたいだけだ。
しかし、1つの物事には常に長所と短所が表裏一体で存在する。
一方で、「悪い」と思える面でも「良い」と思える場面があるし、「良い」と思える面でも「悪い」と思える場面が現れることはよくあることだ。
途中のプロセスはどうであれ、最終的に物事は“結果論”で語られるもので、勝者が正当化されやすいのがこの世の条理だ。
現実や世の中は残念ながら勝者が正しいとされるもので、その方が説得力があるし人間も納得しやすいだろう。
何が言いたいのかというと、Public Standは一般的にナンパバーとして認知されている。
しかし、ナンパ行為そのものは一般的に“悪”とされているにも関わらず、Public Standにおいては女の子をナンパしてゲットすることが正当化されているので“悪”が“正義”にすり替わるジレンマが発生している。
僕のスタンスからすると、この奇妙な空間で男はこの後の展開を妄想し、股間を膨らませ、必死に女の子を口説いているのだと思うと、とても滑稽な気分になる。
時々、忌々しささえ感じさせるPublic Standの巨大な看板は、いつも意味ありげな微笑を浮かべて僕らを見下している。