しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

子供の習い事からオトナが習うこと

 

 

 

コーチのミッション

僕は地元に友達がいない。

 

一応言っておくが、元々友達が少なかったわけではない。

 

地元では僕だけが中学受験で都内の私立中学校に進学し、あれだけ仲の良かった地元の友達とは顔を合わせない生活が10年くらい続いたからだ。

 

成人式の時は、なんとかクラス会に紛れ込むことができたが、10年ぶりに会うと何人かは僕のことを忘れていて少し悲しい思いをした。

 

その中で唯一僕のことを気にかけて、頻繁に連絡をよこしてくる友人がいた。

 

彼は小学2年生の時に、親の仕事の都合でこちらに引っ越してきて、クラスに馴染めていなかった所を僕がスマブラ大会に誘ったところから仲が良くなったと記憶している。

 

そんな彼は、僕がかつて所属していたサッカー少年団でコーチをしているようで、僕にもコーチをしてほしいという誘いがあった。

 

僕は地元に対して苦手意識があったので、この上ない’やりにくさ’があったが、説得されて渋々練習に顔を出した。

 

コーチと会うのは10年ぶりだった。

 

風貌や話し方は全く変わっていなかったが、10年という時の流れには逆らえないのか、髪はだいぶ少なくなって、試合中フィールドのプレーヤーよりも怒号を飛ばしていたあの鬼コーチの面影はだいぶ薄れていた。

 

そんなコーチとの話し合いの結果、僕は小学校1年生のクラスを任されることになった。

 

とにかく小学1年生のチームは弱くて、試合では1度も勝ったことがなかったらしい。

 

コーチから僕に課されたミッションは下記の通りだ。

 

①試合で勝てるチームにする。

②正しいボールの蹴り方を教える。

 

確かにサッカーは勝てないと面白くない。

 

①について、小学校低学年にありがちなのだが、普通に試合をしようとしても、プレーヤー全員がボールの周りに集まってしまい、サッカーが成立しない。

 

②について、技術的な面からも幼少期にどれだけ質の高い教育を受けることができるかによって、その後のサッカー人生は変わってくるだろう。

 

でも、僕にはその前にやるべきことがあるのではないかと思っていた。

 

それは、「サッカーの楽しさを伝えること」だ。

 

好きこそものの上手なれ

 

 

そもそも彼らはサッカーが好きではなかったのだ。

 

練習中に砂遊びを始めてしまう子もいれば、親に引っ張られて毎週泣きながらグラウンドにやってくる子もいた。

 

そこで僕は助っ人コーチの立場を利用して、子供たち目線で1人1人に話を聞いてみたところ、サッカーを嫌いな理由が明らかになってきた。

 

■サッカーが嫌いな理由

 

・そもそもサッカーが嫌い。

・練習が楽しくない。

・ボールが当たるのが怖い。

・コーチの見た目が怖い。

・家でゲームをしている方が楽しい。

・練習のせいで仮面ライダーが見れない。など

 

要は、

・サッカー以外のことをしている方が楽しい。

・練習環境にネガティブ要素が多く、モチベーションに繋がらない。

 

この2点が彼らの、いや、僕たちコーチ陣の問題であった。

 

「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、好きなことであれば自主的にやりたいと思って物事に取り組めるので、誰かに強要されてやっている人と比べると、好きでやっている人の方が続けるし、結果に繋がる。

 

僕はボールの蹴り方や正しい守備の仕方は置いておいて、サッカーの楽しさを伝えることに重点を置いて指導をした。

 

例えば、砂で作った小さい山と山の間をゴールにしてみたり、鬼ごっこやドロケイなど彼らが元々好きなことに、さりげなくサッカー要素を取り入れてボールに触れる機会を増やす工夫をしてみた。

 

次第に、彼らは練習来るたびに、「今日は何して遊ぶの?」と言ってくるようになった。

 

そのたびに僕は「遊ぶんじゃなくて、練習をしにきたんでしょ?」と正していた。

 

彼らの練習に対するモチベーションさえ上がればこっちものだ。

 

子供たちは道すじさえ立ててやれば勝手に学習していく。最初は我流でも良いのだ。

 

ある日を境に、どうやってボールを蹴ったらより遠くに飛ぶのか、彼らは自主研究を進めてき徐々に上達していった。

 

夢中であることは最強

 

 

『努力は夢中に勝てない』

 

これは為末大さんが言っていた言葉だ。

 

彼らがちょっと行き詰まったところでヒントを差し出してあげて、「夢中であることを思い出させる」ことこそ指導に求められるリーダーシップなのだと僕は結論づけた。

 

結果、たいした指導はしていなかったのだが、なぜか秋の大会では1勝することができた。

 

勝利のもちろん僕は彼らと抱き合って、めちゃめちゃに褒めまくって、試合後にみんなと食べたマクドナルドのハンバーガーはとても美味しかった。

 

僕にはコーチングの専門知識があったわけではないので、指導方法が正しかったのかどうかはわからない。

 

それ以降は僕が面倒を見なくても、勝手に練習していくようになったので、僕は次の学年の指導へと移った。きっと彼らはこれからどんどん上達していくだろう。

 

 

オトナの皆さんへ

 

 

実体験として個人的に大切だと感じたことは下記の3点だ。

 

①子供たちが自主的に習い事を取り組める環境を周りの大人が整備してやること。

②習い事で結果を出したらわかりやすい形で褒めてあげること。

③習い事が嫌になったら少し脱線して息抜きさせてやること。

 

読者のオトナの皆さんは、「習い事」を「仕事」に置き換えてみて読んでほしい。

 

特に労働環境で悩んでいる人は、特に①と②が不足している現場にいないだろうか。

 

仕事の現場でこれらのことができていない人は、特に40~50代くらいの上司に多いと思う。

 

理由は、団塊の世代の上司が育ってきた時代は、「短期的に結果を出すこと」に価値を見出して育った世代だからだと思う。

 

「結果」の出し方が叱ったり、怒鳴ったりする方法を取っていたので「長期的に結果を出すこと」に関しては苦手分野で、若い世代とは考え方が根本的に異なる。

 

別に、団塊の世代のやり方を否定しているわけではない。

 

しかし、自身がマネジメントをする立場で、自分のやり方を今の若い人に押し付けても期待した効果は得られないのは至極当然のことだ。

 

「新人との接し方」のような会社から渡されたマニュアルを読んでも、時代背景を理解しない限り、良好な関係は築けないと思う。

 

そんな時代が続いていくと、日本社会はどんどん疲弊していってしまう。

 

現在、1人あたりGDPでは日本は世界26位まで落ちている。

 

さらに将来的に人口が減り、生産性も上がらない。給料が上がらないから消費が伸びず、デフレが続くことから、生産性を上げることは最大の課題だ。

 

つまり、生産性を上げることこそ、人口減少を埋め合わせする方法なのだ。

 

子供たちが示してくれた小さな1勝は、僕らオトナにとって大きな1歩だ。