しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

【はてなブログ】2週間で1000PV達成したので、僕の転職事情とブログを始めた経緯について語る。

 

 

 

人生のコンパス

 

僕が転職を考え始めたのは、入社して1年半くらい経った頃だ。

 

転職したいと思った最大の理由は、上司の暴力だった。

 

最初の配属は名古屋で、パワハラ上司の下1年ちょっと耐えたが、身体的・精神的にガタが来てしまい、1ヶ月の自宅療養を経て、東京の部署に異動になった。

 

1ヶ月の療養期間は、メンタルは最低のところまで落ち込んでいて、もう2度と社会には戻れないと思っていた。

 

「なぜ人は生きるのか?」とか、「人生の幸福は何か?」「働くとは?」みたいなことを考えていると眠れなくなって、社会の歯車が軋み音をあげて動き出す朝を迎えるのが怖かった。

 

一時的に社会の歯車から外れていた僕は1日中家にいて時間を持て余していた。

 

無限に湧き上がってくる疑問に対し、頭で考えても答えが出なかったので、僕は先人の知恵を借りることにした。

 

当時は自己啓発関係の書籍を買いまくって、1ヶ月で60冊くらい読んだと思う。

 

人間の頭がどうできていて、幸せの正体とは一体何なのか答えをだそうと思ったが、結局明確な答えは出なかった。

 

自宅療養を経て、東京の部署に復帰してからは、パワハラがなくなったおかげで精神的にだいぶ余裕ができて、ようやく会社全体の事や社会全体のことを学ぶ余裕ができた。

 

東京という街は素晴らしい。

 

名古屋という閉塞的な街とは違って、東京には毎日新しい情報に満ち溢れていて、僕が求めている答えがありそうな気がした。

 

東京に戻ってきてからは「労働感」や「人生の幸福」について学んでいった。

 

この頃は転職バーに通い詰め、様々な価値観を持つ人たちに出会って、様々な人生観に触れてきた。

 

しかし、結局ここでも自分の中の答えは見つからずに、漠然とした不安だけが手元に残った。

 

答えがでないまま転職活動も行っていて、幸いリクルートの最終面接まで漕ぎ着けることはできたが、残念な結果に終わってしまった。

 

僅かな転職期間での学びは、自身の人生の答えが出ないまま仕事を選ぶこと自体が間違っていると気づけたことだ。

 

今はその答えを探しながら東京の部署に勤務している。

 

正直、会社にはあまり貢献はできていないが、ここで尻尾を巻いて逃げてしまうことは自身のためにならないと考えて、’あえて’3年間働いてみることにした。

 

半年後にはこの会社を’卒業’できていると信じたいが、卒業後はどんな場所にいるかはまだわからない。

 

でも、人生のコンパスのようなものは入手できたと思う。

 

そのコンパスの針は日によって指す方向が違うのだが、今自身が立っている場所とは違う場所に連れて行ってくれている気がする。

 

僕にとっての宝島が実在するのかわからないが、もっと自由な人生の選択肢を持ってもいいのだということはわかった。

 

僕という人間

  

僕は空っぽの人間だ。

 

もう少し具体的に説明すると、「口八丁手八丁」、「八方美人」、「世渡り上手」、「オールラウンダー」といったところだろうか。

 

とにかく、周囲の目を気にして、小手先のテクニックで自分をよく見せることについては得意分野だ。

 

頑張ることや無駄なことがとにかく嫌いで、ゴールがあったらどうすれば最小の努力で最大のパフォーマンスを発揮できるか考えていた。

 

この考え方はビジネスマンにとって、良いことのように聞こえるかもしれないが、僕の場合は中身が伴っていないので、いつかごまかしがバレてしまうダメな部類の人間だ。

 

社会に出る前までは、ごまかしが通用したが、社会に出てからはそう簡単にハッタリが通用しないことがわかった。

 

でも、今までハッタリでしか生きてこなかった僕にとっては、自分自身がどういう人間なのかわからなくなっいて、手のつけられない状態だった。

 

前の上司からは「性格・人間性を変えろ」と言われていたのだが、自分が何者かわかっていないので、どこを変えたらいいのかもわからなかった。

 

ただ1つ、本能的に、今の会社仕様にパーソナリティを変えてしまうと破滅の未来が待っていることはわかっていたので、上司の言いなりにはならなかった。

 

今の会社にいる時間は無駄であるという考えは2年前から変わらない。

 

今は磐石の態勢を取っておいて、自分探しに時間を割くと決めた。

 

いつか本当の自分に会えるその時までしばらくの辛抱だ。

 

今の会社で自分自身についてわかったこと

 

 

【1】僕が嫌なことは?

2年半の労働を経て、僕が嫌な環境はどういった環境なのかわかった気がする。

 

それは、下記の3つだ。

 

(1)社会的に見てそれなりの地位がないのは嫌だ

(2)一定水準以上の収入がないのは嫌だ

(3)仕事以外の時間を充実させられないのは嫌だ

 

と、「○○は嫌だ」という考え方で洗い出しを行った。

 

もちろんその時の仕事や職種によって順位の変動はあるだろうが、基本的にこれらの3つの条件は何が合っても譲れない。

 

お金が無いのは論外で、帰ってからウイイレできないのは嫌だし、残業のせいで好きな日に好きな女の子を家に呼べない生活なんてありえない。

 

しかし、ネガティブ発信の理想を語っている時点でゴールなんてたかが知れていると最近気づいた。詳細は後述する。

 

【2】僕はそもそも働きたくない人だった

 

1年目に病んでしまったのは、上司のパワハラだけでなく、僕自身が「働くことそのもの」に対して強い葛藤を抱いていたということがわかった。

 

仕事で成し遂げたい夢なんてないし、幼少期に書いた将来の夢には「お金持ち」と書いてあって具体的な夢など見たことなかった。

 

でも、楽して生きたいという考えは昔から同じで今後もきっとそうだ。

 

楽して生きるという面では、実は今の環境が割とマッチしていて、先ほど挙げた3つの条件も満たしている。

 

(1)商社勤務なので対外向けのイメージは良い。

(2)収入は悪くないが、高くもない。

(3)日中自由ではないが、定時退社なので企業勤めの友人とのアポは問題ない。

 

【3】僕の目指すことは?

 

【1】では、「○○は嫌だ」というネガティブ発信の考え方だったが、僕が求める環境や目標をもっと遠く、広い視点でポジティブに考えたら下記のようになった。

 

(1)社会的に見てそれなりの地位がある⇒労働的自由

(2)一定水準以上の収入がある⇒金銭的自由

(3)仕事以外の時間を充実させる⇒時間的自由

 

これらを同時に満たすために、多くの著名人の書籍やブログを読み漁った結果、僕が辿り着いた結論は、

 

不労所得を得る」ということであった。

 

最終的には企業勤めから脱却して、個人でメシを食えるようになれば3つの環境は整うはずだ。

 

実現まで相当の時間と労力が必要だが、楽をするために頑張ることは大歓迎だ。

 

まだぼんやりしているが、僕は宝島がある方向がわかった気がした。

 

ブログを始めた理由

 

 

そこで、僕は宝島にたどり着く方法としてブログを始めることにした。

 

ブログは楽して稼げるツールだとは思っていない。むしろいばらの道だ。

 

でも、いばらの道のその先には僕が目指す不労所得の可能性はある。

 

まだまだ不労所得までは遠いが、日々やりがいを持ってブログ更新ができている。

 

自分が前に進めているという感覚があるが、それ以上に「向こうにある世界が自分を引っ張っていく感覚」が強いから、楽しいのだ。

 

ブログの目的

なにもブログを書くことは全てがお金儲けのためではない。

 

情報のインプットとアウトプットの練習にもなるし、日々のニュースを拾ってくることで社会の動きに敏感になれる。

 

そして、自身の考えを整理し、記録し、発信することを通じて仲間や出会いも目的の1つだ。

 

僕の人生において1人でも多くの人と交流して、互いに刺激しあえる仲間ができたならば、人生はより幸福なものになると思う。

 

ブログを初めて2週間が経過し、まだ記事数は10記事ちょっとだ。

 

でも、累計アクセス数は1000PVを超え、ありがたいことに、ブックマークや読者登録してくださっている方もいる。

 

記事の更新はツイッターしか宣伝していないし、Amazonアソシエイトのリンクは貼っているが、審査は通っていないため、僕の手元に落ちてくるお金は0円だ。

 

ちなみに、Googleアドセンスは審査すらしていない。

 

アクセス数を伸ばすための○○みたいなテクは何もしていないし、文章構成も完全に我流だ。

 

最初は僕が書きたいことを書いていって、どんな人間か知ってもらえればいい。

 

それでほんの少しでも誰かの人生や考え方にスパイスを与えることができて、人生の養分になれればいいと思う。

 

最初は養分でもいいが、いつかは自分も大きな花になりたい。

 

きっといつか理由も無い花を咲かせて、その花びらを目で見た時に、自身が何者なのかそこで初めて知ることになるのだろう。