しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

ウイイレ2019を購入してみて思った最近のゲーム業界について

 

 

ウイイレの思い出

 

 

僕が初めてウイニングイレブン(通称:ウイイレ)を購入したのは、2006年に発売された「ウイニングイレブン10」だ。

 

この頃はジーコジャパンの時代で、オープニング映像では中村俊輔が迫り来る国旗(相手ディフェンダー)を華麗なドリブルでひらりひらりとかわし、シュートをキメるという当時のオープニング映像では最高にクールであったのは今でも覚えている。

 

当時、僕はまだ中学生で、サッカー部のエナメルバッグのサイドポケットにはいつもPSPが入っていた。

 

学校にこっそりPSPを持っていって、練習後のマクドナルドや、合宿のバスの中、帰り道の電車でもいつもウイイレをしていて、僕はウイイレと共に成長してきたといっても過言ではない。

 

当時のウイイレはサッカー部員にとって’言語’のようなもので、先輩と後輩の垣根を超えて、学年を超えた唯一のコミュニケーション方法であった。

 

ウチの部活のルールでは、1年生の練習着は上から下まで無地の白で統一せねばならず、シャツには大きいカタカナで自身の苗字を書かなければならなかった。

 

オシャレなユニフォームや練習着を着ることが許されているのは2年生からで、1年生の身なりは、その他大勢という意味で、仮面ライダーのショッカーと大差なかった。

 

そんな’ショッカーその1’であった僕は、自身のキャラ付けをするためにいろいろな方法で先輩にアピールをするのだが、サッカーがそんなに上手くなかった僕はひたすらゴマすりに徹していた。

(もちろん練習もちゃんとやっていたが。)

 

僕は先輩に気に入られるためには、練習以外の時間も惜しまない。

 

ゴマすり活動の中でも僕が特に力を入れていたのはウイイレだった。

 

昼休みや遠征帰りの電車の中など、僕は先輩に必ず決まるシュートや強いフォーメーションなどを直接教えることで、アナログ的なゲームコミュニケーションを取っていた。

 

涙ぐましい活動の結果が実際の部活に反映されていたかどうかはわからないが、少なからず先輩との心の距離を縮める効果はあったと思う。

 

やがてゲームテクノロジーの進化と僕の身体の成長(?)に伴い、ウイイレも姿を変えていった。

 

コントローラーのボタン操作が多様化し、より高度な情報戦に生まれ変わったのだ。

 

その中でも劇的な変化といえば、目の前に対戦相手がいなくてもオンラインで繋がることができるようになったことだろう。

 

SONYが提供するPSN(Play Station Network)では、オンラインユーザー同士が繋がって、自宅にいながら世界中のプレーヤーと試合をすることができるようになり、デジタル的なゲームコミュニケーションに移り変わった。

 

僕は今でも後輩とは週1くらいでオンライン対戦をしていて、お互い顔を合わせることはなくても、放っておいたら途切れてしまいそうな関係を取り持ってくれるコミュニケーションツールの1つだ。

 

ゲームの本当の面白さ

 

 

先日、「ウイニングイレブン2019」を購入した。

 

実は毎年最新作を購入しているのだが、今作ではウイイレの遊び方を少し変えてみようと思う。

 

今まではFCバルセロナや、マンチェスター・ユナイテッドといった、ゲーム内にある既存のチームを使用して試合をしていたのだが、今回は「my club」というゲームモードを極めていきたいと思っている。

 

「my club」はその名の通り、自身で好きな選手をかき集めてきて、オリジナルチームで戦うことができるモードだ。

 

しかし、好きな選手を獲得するには、ウイイレ内の通貨である「GP」を使用して何度もガチャガチャを引かなければならない。

 

また、その通貨であるGPを獲得するには、ゲーム内でちまちまポイントを稼ぐか、リアルマネーを課金しなければならないらしい。

 

僕はこれまでモバゲーやモンストといった課金制のソーシャルゲームは避けてきた。

 

なぜなら、そのゲーム内でしか使うことができない電子データごときに課金することは投資の中でも最も愚かだと思っていて、今でもその考えは変わらない。

 

もちろん課金すればゲーム内で勝利の確率は上がり、面白みは増加するが、勝てば必ず楽しいというわけではない。

 

個人的には、ゲームの本当の面白さは勝利にあるのではなく、どうすれば勝利できるか試行錯誤を重ね、独自のメソッドを確立させる部分にあると思っていて、その大切なプロセスを全てお金で解決してしまうのは非常にもったいないと思う。

 

だから、僕は無課金で課金ユーザーを倒すことでゲーム本来の面白さを教えてあげたい。

(何の宣言なのか)

 

ゲーム業界の変化

 

 僕がウイイレを始めた2007年から2016年にかけて国内家庭用ゲーム市場規模(ハード・ソフト)は約半分になった。(3440億円)

 

一方、オンラインプラットフォームは約10倍の規模に成長した。(1兆360億円)

 

また、ユーザー側も家庭でしかできないゲームから、いつでもどこでも遊べるゲームアプリにシフトしている現状だ。

 

特にスマホゲームでは’ポケモンGO’の大ヒットが記憶に新しいと思う。

 

また、世界的な盛り上がりをみせる’eスポーツ’はだんだん日本にも浸透してきていて、浮き沈みの激しいゲーム業界の今後の動向は注目だ。

 

ソフト売り切り型の時代は終焉を迎え、現在はベースモデルとなるゲーム(無料)に課金制度を設けることで、継続的にマネーが発生するようなビジネスモデルが大半だ。

 

市場のパイ自体が小さくなっているのだから、企業側もマネタイズ化のために課金制度を設けるのも納得がいく。

 

ゲーム開発の段階から、企業側はユーザーがどれだけお金を落としていくか’お金’を意識しなければならないので、僕は本当に作りたいゲームを作れない状況が生まれてしまうのではないかと危惧している。

 

時代の流れと言ってしまえばそれまでなのだが、企業のお金の問題をユーザーのお金で解決してしまう現状にはどこか寂しい気持ちがする。

 

課金制ゲームの問題

 

 僕が感じる課金制ゲームの問題は、満足のいくゲーム進行には課金が必要ということだ。

 

課金ユーザーと無課金ユーザーの間にはあまりにも高い壁が存在していて、正直ストレスを感じる時が多い。

 

ゲームをしてストレスを発散させようとしているのに、逆にストレスを抱え込んでしまうことになるなんて一昔前の僕は想像もしていなかっただろう。

 

個人的には、ウイイレというゲームに関してはプレーヤー自身にテクニックがあれば何とかなる要素が多いので、この壁はそんなに高くないと感じる。

 

しかし、大半のプレーヤーは自身の腕を上げることより、選手の能力に頼ってしまう方が効率が良いので、ガチャガチャに夢を求めて財産をつぎ込むことになる。

 

さらに、ガチャガチャの当たりの確率は明確化されておらず、良いカードや選手を集めるために何回もガチャガチャを引く必要があるらしい。

 

特に未成年が自身の支払い能力を超えた課金を行ってしまい、支払い事故に発展する事例も少なくはない。

 

つまり、課金制度の最たる罪は、「お金の価値を理解しない若年層を増加させた」ことにあると思う。

 

ゲームは僕らが作る

 

ウイイレのオンラインサービスは何年も前からスタートしているのだが、ユーザーの質はまだまだ低く悪質ユーザーは年々増加しているように見える。

 

オンラインでの試合が終わったと思えば、ダイレクトメールが飛んできて、「●ね」とか「●すぞ」みたいな悪口が飛んでくることは日常茶飯事だ。

 

きっと、そういったユーザーはまだまだ(精神的に)子供で、ゲームの楽しみ方そのものを理解できていないのだろう。

 

きっと課金をしても、無課金のユーザーに勝てないから不満の矛先が相手ユーザーに向かうのだと思う。

 

彼らのようなモンスターを産んでしまったのは企業側にも責任はあるのではないか。

 

企業側は健全な経営と適正な表示を心がけるなら、ユーザーを煽って異常な課金額を積み上げていくという収益モデルから脱却して、適正な範囲内の課金に収まるようにゲームの設計を考える必要性がある。

 

現状、ガチャガチャはパチンコより酷くて、ユーザーはいくら課金すれば目的物を引き当てることができるのかわからないままお金を投じている状態だ。

 

パチンコ市場は風営法の規制を受けているが、ソシャゲ市場では現状では何の規制もない。

 

企業側は、金銭面でユーザーの実生活を乱さないような運営を目指し、ユーザーの人間性も育てる努力を行うべきではないだろうか。

 

さらに、僕らユーザー側は「課金をすれば納得をするユーザー」になるのではなくて、「無課金の部分に対して質を求めるようなユーザー」にならねばならないと思う。

 

そのために、そのゲームの本当の楽しみ方を理解して、企業側も僕らのニーズに応えることができれば、現状のビジネスモデルからも脱却ができて、ゲームの健全化も図れる。

 

僕らのゲームは自らの手で守っていかなければならないと思う。

 

現代のゲームで消耗している人は、一旦スマホを置いて、目の前の友達とファミコンを楽しむことから始めてみてはどうだろうか。