しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

茹でガエルになる前に

 「茹でガエルの法則」という言葉をご存知だろうか。

 

2匹のカエルを用意し、1匹は熱湯に入れ、もう1匹は緩やかに昇温する冷水に入れる。

 

すると、前者は直ちに飛び跳ね脱出するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できずに茹で上がってそのまま死んでしまう。

 

これは何を意味するのかというと、「ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ」なのだ。

 

急激な変化には危機意識が働くのに対し、変化が緩慢だとそれに慣れ過ぎて、対応するタイミングを逸しやすい。

 

危機を認識したときには致命的なダメージを負っているという茹でガエルの比喩が人間の思考や行動の本質を鋭く突いているのだ。

 

この言葉は主に企業経営やビジネスの文脈でよく用いられる話で、経営者や経営コンサルタントなどによってまことしやかに語られてきた1種の教訓として定着している。

 

おそらくこのワードが広まったのは“失われた10年”に関する議論が盛んだった2003年頃、大前研一氏と田原総一朗氏が『「茹で蛙」国家日本の末路』と題して共著を出し話題を集めた頃だろう。

 

上記の書籍のタイトルのように、しばしば日本は多方面から後者の‘呑気なカエル’に例えられる。

 

社会保障の財源を確保するために消費増税を検討したのに、増税による景気悪化を回避するために社会保障費を削減するという場当たり的な対応しかできない政府。

 

「うちはこのやり方で伸びてきたのだから」と過去の栄光にすがり続ける日本企業の経営トップ。

 

2015年にパリ協定やSDGsが採択されて他国はとっくにスタートを切っているのに、まだスタートラインのはるか後ろにいる大手企業。

 

なぜこんなことになっているのかというと「安心」という言葉に象徴されるように、日本人はリスク対応が苦手なのだ。

 

ちなみに、僕らが普段使っている「安心」という言葉と全く同じ意味を示す単語は世界には存在しないのだとか。

 

背景には古来より日本人はぬるま湯に浸かっているのが大好きな民族で、大改革を起こした人物は世界的に見ても少ない。

 

何が言いたいのかと言うと、お上頼みの文化でなんとかこれまでやってこれたが、いよいよぬるま湯から出る準備をしないと日本全体が茹で上がってしまうということだ。

 

これからの時代は個々人が改革を起こして、国や企業に頼らない生き方を実現すべきで、自身が持つ資本(人的資本と金融資本)をフル稼働させて、年金や退職金をあてにしない基盤を今から作ろうと思う。

 

人的資本については将来性が見込める業界に身を置くこと。

 

これは手っ取り早く自身の市場価値を上げるのに有効で、市場全体に伸びしろがあれば自身の給与にも伸びしろがあるということだ。

 

金融資本は読んで字のごとく、自分が所有する金融商品にも働いてもらってお金を得ると言うことだ。

 

このあたりを2019年の目標にしたいと思う。