しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

世界の美味しい食べ方

野菜とiPhoneの切り方

 

 

野菜は切り方を変えるだけで味や歯ざわりが大きく変化する。

 

特にタマネギは独特の苦みや辛みの成分が特徴的なので、繊維に沿って切るのか切らないのか、長さを短くするのか長くするのか変えるだけで差が出やすい。

 

じっくりと炒めて甘味を出したい時や煮込んだりする時は、繊維に沿って薄く切る方法が適している。

 

サラダや和えもの、生で食べるときは繊維に対して直角に切って繊維を断ち切った方が柔らかい食感を楽しむことができるのだ。

 

また、細胞の壊れ方が大きければ野菜の中の成分が出やすくなって、味や匂い、色に違いが出る。

 

理由は繊維に沿って切るか切らないかでとアクや苦味が変わってくるからだそうだ。

 

野菜のアクや苦みが少なければなるほど、自然と甘みを感じやすくなるのは想像し易いだろう。

 

野菜に限らず、同じものだったとしても切り方を変えたり、見せ方を工夫するだけで最終的な結果が大きく変化することは多々ある。

 

他の例だと僕らが持っているiPhone

 

iPhoneが爆発的に売れた理由は諸説あるが、個人的に信じている説は、『iPhoneに「電話」という名前をつけたから売れた』という説だ。

 

端的に言うと、家電量販店のパソコン売り場にiPhoneがあっても売れなかったが、携帯電話売り場にiPhoneがあったから売れたということだ。

 

実際、iPhoneの中身は普通にパソコンである。

 

初めてiPhoneが世に出回った時は、パソコンと呼ぶには圧倒的に性能が低く、通信インフラも現代のように整っていなかったので、人々はとてつもなく遅い通信速度の中で画面をタッチしていた。

 

仮に最初からiPhoneはパソコンだと言われても、画面がタッチ式になって持ち運びが便利になりましたね~くらいのメリットしかないので売れるわけがない。

 

しかし、スティーブ・ジョブズは逆転の発想とその圧倒的なプレゼン力で、携帯電話にインターネット機能、高画質カメラ、スタイリッシュなデザイン、他を加えて、「多機能電話」として売りだしたことで爆発的な人気を呼んだのだ。

 

本当に不思議なことだが、最初の野菜の話と同様に切り方や物事の捉え方や見せ方を変えるだけで成功することもあるのだ。

 

比較対象の切り方

 

 

次に紹介するのは比較対象の切り方だ。

 

人間は同じ物事や事実を見ていても人によって捉え方が異なる。

 

実際に目の前で起きている事実をどういう風に捉えるのか、それに対してどういった反応をするのか。

 

このあたりはある程度自分でコントロールできる部分だ。

 

たとえ同僚が自分より早く出世したとしても、ブスな嫁を掴まされたとしても、自分にとって都合の良いように捉えてしまえばそれでいい。

 

当然価値観や判断基準は人それぞれなので点数化ができない分野に‘絶対’は存在しない。

 

(もちろん人間社会を生きていく上で、ある程度常識の範囲内で世間の価値観に合わせていく努力は必要だが。)

 

しかし、人間は考えることができる生き物なのでどうしても他人と比べたがり、僕らはいつも不確かな基準にしがみつくよう指導されてきた。

 

いつも周囲の目を気にしながら、誰が決めたかわからない基準やレールから脱落しないように踏ん張ってきたのだ。

 

僕自身、物心ついた頃からスイミングスクールに通ったり、公文や塾に通っていて常に周囲には常に比較対象がいた。

 

スイミングも計算もできれば褒められるしできないと怒られる。

 

当時は先生や親から怒られたくない一心でひたすら頑張って勝ち続けてきたが、今思い返すとそもそも「できる・できない軸」で考えることがナンセンスなのではないかと思う。

 

「できる・できない軸」の1番の弊害は、できない側に落ちてしまう人間のうち一定数は自己肯定感が失われることだ。

 

一度自信を喪失してしまった者に再度奮起させることはとても難しいし、二度と戻ってこない可能性も孕んでいる。

 

だから、物事を考えるときや実行する時は切り口を少しだけ変えてみればいいと思う。

 

勝ち負けの世界から逸脱して「やりたい・やりたくない軸」でやればいいし、もしもやりたくなくなったらさっさと辞めればいいと思う。

 

そういった勝負をしない生き方をしていった方が穏やかな人生を送れると思う。

 

それでも勝ち続けたい人はどうぞご勝手にという感じだ。

 

まとめ

 

 

現代は(スティーブ・ジョブズのせいで)離れた場所にいたとしてもいつ、どこで、誰が、どんなことをしているのかすぐに分かる時代なので、比較することによる消耗はさらに加速している。

 

個人的に地球は球体ではなく多面体でできていると思っていて、僕らが知っている世界はほんの一部の面しかこちらに向けていない。

 

無数にある面のたった1つや2つしか知らないのに、それに絶望する必要はないし更なる可能性を秘めている。

 

タマネギやiPhoneみたいに、身の回りの世界の切り方や捉え方を少し変えることで救われることもあるかもしれない。

 

だから目の前の現実にそこまで絶望する必要はないのだ。

 

たぶん世界は僕らが思っている以上に大きくて美味しいと思うから。