しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

【就活】「くだらねえ」と呟いて

 

  

 

 

この世はくだらないことばかりだ。

 

大学生の頃、僕に夢なんてなかった。

 

人生をかけて成し遂げたい夢や、将来なりたい職業など無い。

 

好きなことだけやって、それ以外は寝て過ごすのび太的な生活を送りたかった。

 

でも、大学3年の秋ごろから、一緒になってバカやってた友達の頭が金髪ロン毛から、黒のショートカットになって、着ている服はギャルソンのパーカーからリクルートスーツに変わった。

 

そして、彼は何を思ったのか突然「俺、○○って会社行きたい!」と言いはじめた。

 

おいおい、少なくとも僕が知ってるお前はそんな奴じゃなかっただろう。

 

僕が知ってるお前はとにかく時間にルーズで酒、タバコ、麻雀、女しか頭にない大学でも指折りのクズ野郎だった。

 

でも、どうやら彼は真剣だったみたいでスケジュール帳にはたくさんの企業名が書いてあった。

 

僕が好きだった彼はもういない。

 

ちょっとだけ寂しい気持ちになったが、彼が決めたことを僕がどうこうする権利はないので、とりあえず「頑張ろうね」とだけ声をかけた。

 

でも、時間が立つにつれて、その不可解な出来事は学年全体に広まっていって、大学全体がなんだか黒くなっていった。

 

黒くなっていった理由は、全員黒い髪、黒いスーツ、黒い靴、黒いカバン。

 

全てが真っ黒になっていった。

 

不本意だが、僕もやがてその「黒」に飲み込まれた。

 

おめでとう。めでたく彼らの仲間入りだ。

 

就職活動が本格化する直前に、大学主催の就職活動イベントがあった。

 

イベントの主旨は、先輩の話や人事の話を聞いて企業に求められる人になろう!とのことだった。

 

イベントの最後には全員起立して、就職活動頑張るぞー!おー!みたいな感じで拳を突き上げた。

 

僕も拳を突き上げたのだが、心の中では突き上げた僕の拳は中指だけピンと立っていた。

 

くだらねえ。

 

白と黒

 

 

なんやかんやでエントリーシートは15社くらいに提出した。

 

幸いにもエントリーシートで落ちたのはせいぜい1,2社くらいで、ほとんどの企業は僕に興味を持ってくれた。

 

僕はミスコンテストの運営に携わるサークルのリーダーをしていた。

 

企画運営の他にビジコンにも出場して、だいぶ真面目なこともやっていたから、就職活動ではだいぶ有利だったと思う。

 

面接に進むと、エントリーシートに書いてある事を中心に聞かれるので、何回も何回も同じエピソードを話し続けた。

 

盛りに盛ったエピソードは序々に精度を増し、持ち前の演技力で抑揚や表情を付けて話すことまでできるようになった。

 

面接で話すエピソードの真偽性はそれほど重要ではない。

 

本当に重要なのは「自分を大きく見せる力」だ。

 

ハッタリでも理路整然と話すことができれば、嘘はやがて真実に変わる。

 

つまり、どんなに黒いものでも白いものだと言い切れば本当に白になる。

 

残念ながら就職活動とは歪な悲劇のような場で、登場人物全員ウソをつくことに対する罪の意識なんて無かった。

 

もちろん企業側だってウソをついているからお互い様だ。

 

正直者がバカを見る世界ということを知らない人の方が愚か者なのだ。

 

給料、有給取得率、辞職人数、ハラスメント件数、クレーム数など、人事担当者は会社説明会ではこんなことを絶対言わない。

 

日本においては、都合の悪いことは隠してそしらぬ顔をしていた方が、物事は有利に進むと決まっている。

 

なんやかんやで真面目に就活した結果、最終的に複数社から内定を貰うことができてその中の商社に行くことに決めた。

 

理由は、商社マンという肩書きが欲しかったのと、圧倒的に給料が高かったからだ。

 

理由なんてそんなものだ。

 

だって、最初から夢なんて無かったのだから。

 

くだらねえ。

 

透明

 

 

社会に出てから2年半が経った。

 

こんな僕でも社会に出る直前までは少しだけ社会人になれること対して希望を持っていた。

 

結局、ビシッとスーツを着て外を駆けずり回って、毎日しんどいけど、なんやかんやで充実感に満ちている生活が待っていると淡い期待を寄せていた。

 

しかし、実際は毎日同じことの繰り返しで充実感なんてなかった。

 

下手したら朝起きて出社するシーンから、風呂に入って寝床に着くシーンまで全く同じ行動をしていることだってある。

 

毎日変わっていることと言えば、夜ご飯とTwitterのTLくらいで、実際に身の回りに起きていることは何一つ変わっちゃいない。

 

僕らサラリーマンは、目の前にぶら下げられたニンジン欲しさに走りまくる馬と一緒だ。

 

毎週、目の前の休日というエサを食べたいがために月曜から金曜日を生き抜く。

 

そして、休日には自身が稼いだ金を使って、飲み食い、買い物、旅行等を通じて身心のメンテナンスを行い、働くだけの空っぽな人生をちょっとだけ変えていく。

 

まるで、何も変わらない透明色の日常に色を付け足していくように。

 

休日が終わると、また暗い顔をして労働に勤しむ。

 

基本的にはずっとその繰り返しだ。

 

くだらねえ。

 

月とすっぽん

 

 

「月とすっぽん」とは、2つのものの違いがあまりに大きすぎて、比較にならないことの例えだ。

 

僕の頭が事あるごとに「くだらない」と考えるということは、きっと理想と現実のギャップがあまりに大きいからなのだろう。

 

これまでの文脈的に、僕の「理想」と「現実」は、それぞれどちらが「月」と「すっぽん」に分類されるかは明白だろう。

 

こんなくだらない生活を変えるためにはどうしたよいのだろうか。

 

人生の大目標を決めたり、旅に出たり、結婚して守るべき存在を作ったり、いろんな方法があると思う。

 

1個前の章で書いた馬のにんじんの話と一緒で、人は皆くだらない生活に、何かのスパイスを加えることでそれを生きがいとしている。

 

なぜ働くか⇒家族を支えるため

なぜ働くか⇒色んな場所に旅行にいくため

なぜ働くか⇒自己実現のため

 

といった感じで、何かを成し遂げるための方法が労働なのだと思う。

 

僕の場合は、

 

なぜ働くか⇒のび太的な生活を送るため

 

なので、だいぶ矛盾している。

 

くだらねえ。

 

まとめ

 

 

日常がせわしなく過ぎていく中で、これまでの社会人人生を振り返ってみたら、人生の醍醐味ってどこにあるのだろうと思った。

 

僕には夢なんて最初から無いし、5年後、10年後、40年後のことなんて考えたところで、外部環境も変わっているんだから、結論なんて出るわけがないと考えている。

 

今、現在、ただ単に自分はやりたいことをやっていければ幸せなんじゃないかと思う。

 

今はまだすっぽんだが、目標を見失わずに、頑張っていればいつの日か大物になれる時が来るかもしれない。

 

今宵の月のように。