カネを借りたら友達が減った
ことわざとは、昔から人々の間で言い習わされてきた、風刺・教訓・知識等を含む言葉のことだ。
独特の定型と背景になる説話を持ち、形式的にも内容的にも人の記憶にとどまるような言語芸術だ。
ことわざの文化は既に平安時代には存在していて、現代においても様々なシーンで説得力を持たせる手段の1つとして広く活用されている。
1000年以上前のことわざが現代に至るまで語り継がれているということは、人間が1000年以上前から進歩をしていない可能性がある。
もしくは、ことわざは人間の本質を正確に捉えていて、いつの時代も普遍的で変わらないものだから語り継がれている可能性もある。
金の切れ目が縁の切れ目
記事のタイトル通り、カネを借りたら友達が減った。
おそらく、数あることわざの中では`金の切れ目が縁の切れ目’という言葉が適しているのだろう。
このことわざの本来の意味は、「金銭で成り立っている関係は、金がなくなれば終わるということ。」だ。
元々遊女と遊客の関係を表しており、「お金を遊女に貢げば、彼氏のようにもてなしてもらえるけれど、お金がなくなれば関係は途切れる」という意味だった。
現代では彼氏彼女や友人との別れ、夫婦間の離婚などで使用されるが、昔は「商売人と客」というビジネスライクな場で使われていた。
しかし、現代の若者の間では、「金銭トラブルが起きたら縁を切る」という若干違った意味で使用されている。
僕の場合は、現代版の方の意味で縁の切れ目があった。
実際にあった出来事
僕に何があったのか箇条書きで時系列順に説明する。
◇登場人物
僕:普通のサラリーマン。貯金額:280万円。
友人:中学からの同級生(男性)。
共通の友人:友人の紹介で知り合った人(女性)。
◇時系列
①:僕が友人から1万円を借りる
たまたま現金を持ち合わせていなかったので、舞台のチケット代と飲み代計1万円を借りた。
特に返済期限の指定等はなく、次に会った時に返すことにした。
②:友人からの連絡
急ぎで手元にお金が欲しいらしく、3日以内に貸したお金を`直接手渡しで’返すよう依頼があった。
③:僕が銀行口座振込の提案をする
僕は多忙により直接会うことができない旨を伝え、銀行口座振込の提案をしたが、友人はなぜか直接手渡しでの受渡しを希望していた。
理由は、「銀行振込とかやったことないからよくわかんない」ということだった。
また、友人曰く「お金を貸しているのはこっちなんだから、こっちの要望通り動かないなら、信頼失うわ~」とのことだった。
しかし、最終的には銀行口座振込で受渡しをすることに決着する。
④:銀行口座振込を行う
僕は連絡があった翌日に、銀行口座振込を行った。
振り込んだ時点で、友人に連絡をし、友人からは「あとで確認しておく!と連絡があった。
⑤:共通の友人からの連絡
④から1ヵ月後、久々に会う予定だった共通の友人から僕にアポイントキャンセルの連絡があった。
キャンセルの理由は、「僕が友人にカネを借りてそのまま返していないと聞いて、そんな不誠実な人とは関わりを持ちたくない」とのことだった。
⑥:共通の友人に事情説明
共通の友人に、①~④の状況を事細かに説明し、友人の確認不足であることを伝え、お金の問題は当人同士で解決することになった。
僕に全く罪はないと思っているのだが、なぜか人間性の部分で共通の友人からの信用を失った。
⑦:友人に事実確認の連絡をする
友人に1ヶ月前に入金確認の連絡を取るも、無視されている。(いまここ
◇疑問点と不満点
①直接手渡しに拘る理由
まず、「銀行振込とかやったことないからよくわかんない」の意味がわからない。
25歳でも、銀行振込がわからない人っているのだなあと逆に感心した。
また、急ぎでお金が必要且つスケジュールが合わない状況なのであれば、なぜ手渡し以外の方法を模索しないのか疑問である。
②事実と想像の世界の混同
入金確認を行っていないにも関わらず、まだお金を返してもらっていないと判断する思考プロセスがおかしい。
未確定な状況をあたかも真実のように不特定多数の人間に吹聴するのは、あまりにも無責任だと思う。
③ネガティブキャンペーンをする心理
ネガキャンをすることで、自分の価値が相対的に上がると思っているのか、ただ単順に会話に困ったのか真意はわからない。
しかし、誰かの悪口を言うことで自分が得をするという考えはおかしいのではないだろうか。
④「信用失うわ~」の効力
個人的には、これが1番大きい疑問点だ。
「信用」や「友情」を盾にすることで、他人の行動をコントロールできると思っている時点で、彼の中の重要度は既に、「カネ>信用(友情)」だったのではないだろうか。
「信用」とは何か
今回の一連の流れで、「信用」とは何か改めて考えさせられた。
なぜ僕は友人からの信用を失うことになったのか。
また、原因や本質的な問題点がどこにあったのかずっとわからないでいた。
そんな中で、立羽氏がご自身のブログ内の記事で信用について言及しているのを発見し、「信用」を「座布団」に例えていたのがとてもわかりやすかった。
「信用座布団」という話を、聞いたことがありますか?
某長寿番組のように、人は心の中で人に対して、座布団をあげたり、没収したりしています。
「この人は信用できるなぁ」と思えば、心の中で一枚座布団をあげてるのです。そして逆に「こんな事をする人だとは思わなかった。がっかりした」と思えば、その人にあげていた座布団を没収します。
B子さんは、A子さんを気遣っているという“てい”で発言をします。
(中略)
こんなことをしたら、最後です。
自分のエゴを貫くために、相手の大事なものをダシにする人間は「信用座布団」全没収の刑です。
周りの聴衆もわかる人はわかるので、結局B子さんは劇的に周りから貰っていた「信用座布団」を失います。
つまり、「信用」はエゴを突き通す時の強力な「力」になるということだ。
今の時代、「信用」は様々な価値に生まれ変わることができる。
例えば、Twitterのフォロワーだって信用の1種で、フォロワー100万人のアカウントの発言は、内容の充実度を度外視しても一定の説得力を持つことができる。
近年、インフルエンサーという職業が台頭してきたように、「信用」は「影響力」に繋がり、その成果物はカネにも武器にも人脈にもなり得るのだ。
他には、企業ブランドがあれば、それなりの年収をもらえる「信用」に繋がるので、手元にお金が無くてもローンを組むことができる。
「信用」の蓄え方は、基本的には誰かから与えられるものを積み重ねていくしかない。
でも、今回の僕の一件のように、決して誰かの座布団を奪い取ろうとしたり、他人の「信用」を引き合いに出して、その人の座布団を貶めるような行為はしてはいけないのだ。
金の貸し借りで友達がいなくなる理由も、親が自分に親身になってくれる理由も、人と人の繋がりには必ず信用座布団が関わっている。
「山田君、座布団もう1枚持ってきて」とジャッジするのは、座布団の上に座っている自分ではなく、他の座布団に座っている誰かだという事を忘れてはいけない。
(笑点ではよく他の出演者をいじって座布団を貰う手法が鉄板ではあるが、ここでは触れないでおく。)
まとめ
話が逸れてしまったが、今回の一件で僕はどのような行動を取れば正解だったのかは、正直わからない。
僕はこの誤解を解くために最大限友人に対して尽くしているが、今は友人の方から距離を取っている状態だ。
でも、いつか友人が僕の前に現れてきてくれることを願っている。
その時はお互いに何が間違っていたのか腹を割って話して、0から1つずつ信頼を積み重ねていければいいと思う。
だって、信頼は自分1人じゃ築けないから。