しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

さくらももこさん死去のニュースを見て思い出したこと。

 

 

授業が21時に終わると、僕は真っ先に塾長のデスクに向かう。

 

同学年の子たちが教室で復習をしているのを横目に、僕は22時に母親が迎えに来るまでの間、塾長の席の革のチェアーでひたすら共用本棚にあった本を読み漁っていた。

 

元々は’国語の文章読解問題でよく出る作品はあらかじめ全容を理解しておくと有利’という理由で読んでいたので、ある意味予習に近かった部分もある。

 

僕が塾長の席を独占して読書をしていると、塾長はまだやらねばいけない仕事が残っているので席を空けてほしいと言ってくる。

 

僕は「他の子から先生の席を守ってあげていたんだ。みかじめ料として選手カード(※)をちょうだい」とジャイアニズム全開の主張を繰り返していた。

 

(※カルビーが販売している「プロ野球チップス」のおまけのカードのこと。巨人の仁志のカードは10枚くらい保有していた。)

 

正直、最初は読書は全然好きではなかったが、気づいたら読書の世界にのめりこんでいた。

 

昨日のブログにも書いたが、子どもはある日突然何かに目覚めることがあると思う。

 

僕の場合、読書においてものすごい集中力を発揮するようになった。一度頭の中でカチッとスイッチが入ると本の世界に引き込まれていき、周囲の音が聞こえなくなっていた。

 

三国志水滸伝を読んでいたときは目の前で合戦が繰り広げられているような錯覚に陥ることもしばしばあった。

 

やがて読書は僕にとってテレビを見たり、ゲームをしたりすることと何ら変わりないものになった。

 

おそらくその日の授業で叩き込まれたたくさんの情報の山を一度頭の隅に追いやって、まっさらな状態にすることで頭の整理を行うことが心地よかったのだろう。

 

覚えている範囲で、あさのあつこ著「バッテリー」シリーズや、重松清著「きみの友達」、「きよしこ」、歴史モノや偉人伝なんかを読んでいて、塾長の本棚にあった本は1年間をかけて全て読破した。

 

他にも当時流行っていた「ハリーポッター」、「ダレン・シャン」、「デルトラクエスト」、「電車男」のような分厚い本の類も全て読み、何も読むものがなくなり、本に飢えた状態でたまたま出会った本が、さくらももこ著「もものかんづめ」だった。

 

今までの僕は読書をすることで何かを得て、学習し、蓄積しなければいけないと思っていた部分があったが、’もものかんづめ’は何も考えなくてよかった。

 

本を読むことが義務のようになっていて、読者’s highになっていた僕の頭に冷たい氷をポンと置いてくれたような作品だった。

 

たまに嫌そうな顔をしながら本を読んでは、閉じ、携帯を見て、また開き・・・と半ば嫌そうに本を読んでいる人を見かけるが、その人もおそらく読書が義務化されているのだろう。

 

もものかんづめ」、「さるのこしかけ」、「たいのおかしら」は、電車の中で読むと笑いをこらえるのに必死になったり、程よく肩から力が抜ける脱力系エピソードが多いものの、たまに自身の心や正義、倫理感について考えさせられるエピソードがあり、緩んだ頭をピシッと締めてくれる。

 

調べたところによると、どうやら睡眠学習にも向いているようで、短くシンプルなエピソードは寝る前に読むのに適しているとかなんとか。

 

普段難しい本ばかり読んでいる人や日常生活で疲れている人にはおすすめだ。

一度読んでみて欲しい。

 

 

さくらももこさん

たくさんの癒しをありがとうございました。

 

ご冥福をお祈りします。