夏の思い出:「未来のミライ」の感想
あと1週間で夏休みが終わる。
世の学生たちは友達とファミレスやマクドナルドに集まり、分担作業で必死に宿題を片付けることに勤しんでいることであろう。
週末の池袋は人で溢れかえっていて、なんだかいつもより騒がしく、夏の終わりに焦りを感じているような、でもちょっとだけ浮かれているような複雑な雰囲気だった。
「このままずっと夏休みが終わらなければいいのに。」と思う側から、「早く夏休みが終わって鬱陶しい子供がいなくなってほしい。」と思う側になってしまったのは一体いつからだろうか。
久しぶりにFacebookのメッセンジャーの通知が来たのは先週の水曜日だった。
女の子から細田守の「未来のミライ」を見たいと映画の誘いであった。
夏休み最終週に女の子と映画デートとは何とも夏らしいではないか。
しかも場所は僕のホームタウンである池袋。行かない理由が無い。
もちろん2つ返事で了承した。チケットもオンラインで予約済みだ。
サンシャインシティの噴水の前で待ち合わせだった。
たしか最後に会ったのは板橋の花火大会だったから3週間ぶりくらいか。
久しぶりに会った彼女の髪色は明るい茶色からだいぶトーンダウンして黒とこげ茶の中間のような色合いになっていて、瞳の色と髪色のせいなのか、いつもより少し幼く見えた。
ここからは映画の感想を述べる。
見たくない人はページ下部までスクロールしてほしい。
【未来のミライ 感想(一部ネタバレ有り)】
小さい木が立つ庭のある家に住む、4歳で甘えん坊のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に対する両親の様子に困惑していた。ある日、くんちゃんはセーラー服姿の女の子と出会う。彼女は、未来からやってきた自分の妹で……。(シネマトゥデイから)
僕は予告編やあらすじを見る限りでは今作も「君の名は」や「時をかける少女」のようなタイムトラベル物だと予想していた。結果的に今回も時空は飛び越えて行くんですが。
この物語は世界を救ったり、True Loveを見つけたり壮大な「目的」があるわけではない。
最終的にちょっとだけくんちゃんが成長して、見ている側がほっこりするストーリーだ。
今作は主人公のくんちゃんに妹ができたことで、両親の愛が急に自分から妹に移り変わってしまった。
ある日突然、時空を超えて妹のミライが成長した姿でくんちゃんの前に現れる。
それだけでなく、幼少期の母や祖父の過去など、過去の家族との出会いを経て、まだまだ両親に甘えたい盛りの男の子が、家族の歴史を知る冒険を通じてお兄ちゃんとしての自覚を身につけ成長していく・・・
しいて言うなら、今回の敵は「正体が見えない自らの嫉妬心」と言えよう。
あらかじめ言っておくが、これといったびっくり仰天大どんでん返しは特に無い。
あと、制服姿の美少女が活躍するストーリーでもない。
×「未来(女)のミライ」
○「くんちゃん(男児)のミライ」 だ。
今作は成長の結果を楽しむのではなく、くんちゃんの成長のプロセスやエピソードを自身と重ね合わせて楽しむ作品だ。
僕たち見ている側は、登場人物の心の動きや様々なシーンに対して、自身の過去や思い出と重ね合わせ、反芻させることで懐古的な気持ちになれる。
個人的には「子供はすごい。教えてもいないのにある日突然できるようになったりする可能性がある」という父親のセリフがが印象的だった。
なにも子どもを育てるのは親だけではない。
子どもは不思議な生き物だ。
自身のその目で様々な景色を観て、自身のその手で様々な物に触れることで、勝手に成長する可能性が秘められているのだと思った。
僕は特に泣かなかったのだが、一緒に見た彼女は数回泣いていたようだった。
よほどピュアな心の持ち主なのだろう。僕の目にはますます魅力的に映った。
映画を見た後は彼女が好きなポケモンのスタンプラリーに付き合い、水出しコーヒーが美味しい喫茶店でコーヒーを飲んだ。
もちろんディナーの提案をしたが、やんわりと断られてしまったので、その日は一緒にディナーも食べず、手を繋いでそれぞれの家に帰った。
以前はもっと距離が近かった気がするが、会話の内容や表情からして意識がどこか遠くのほうにあった気がした。
なんとなく次はもう会えないのかなと思うと少し寂しい。
もうすぐ夏が終わる。そんな蒸し暑い夜だった。