しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

錬金術とピラミッド

 「錬金術は物質を理解・分解・再構築する科学なり。

されど万能の技にはあらず。

無から有を生ずること能はず。

何かを得ようと欲すれば、必ず、同等の対価を支払うものなり。

これすなわち錬金術の基本、等価交換なり。

錬金術師に禁忌あり、其は人体練成なり、是何人も犯すことなかれ。」

 

これは荒川弘 作「鋼の錬金術師」の冒頭で出てくる導入文だ。

 

今では実写版映画も公開され、多くの人がこの作品のことを知っていると思うので、

詳しいストーリーの内容は割愛させて頂く。

 

この作品の中で主人公のエドワード・エルリックが何度も言うセリフ

「人は何かを得ようとすれば同等の対価を支払う必要がある。(等価交換)」

 

現代社会においては、「お金」を対価にすることで「モノ」や「時間」、「女」だって買うことができる。

 

「お金」には価値が存在しているので、取引に見合った「モノの価値」と交換するに値しており、世界中で様々な通貨が存在し取引が成立している。

 

いわば価値と価値との物々交換だ。

 

僕はこの当たり前の構図に対して疑問を持つ。

 

はたして、物々交換をするにあたって、必ず「お金」を介さないといけないのか?

 

基本的に現代人の多くは企業に勤めたり、アルバイトなど社会人という身分で労働し「時間」を売ることで、その対価である「賃金」を得る基本構図が成り立っている。

 

そこで得たお金を使って余暇を楽しみ、幸福を得ることで心身を休め、また労働する・・・

 

この労働サイクルの本質は、古代エジプト文明でピラミッドを作っていた人と何ら変わりない。

 

ピラミッドと聞くと、砂しかない灼熱地獄で多くの奴隷が屈強な監修にムチで打たれ、嫌々大きな石を運び続けるといったどこかで見たような映像が思い浮かぶとだろうが、実はそうではない。

 

・実際は、ピラミッド建造には奴隷ではなく一般庶民が参加していた。

・しかも庶民は自ら喜んで参加していた。

 

なぜか?

 

理由は、報酬として毎日パンやビールが支給されたから。

 

この事実は現代の働き方のイメージとオーバーラップする部分がある。

 

というか、やりがいを持ってピラミッドを作っていた方が楽しいんじゃないか?とすら思ってしまうレベルだ。

 

現代に生きる僕らは労働やストレスといった鎖に繋がれた奴隷で、実際には見えないピラミッドを作ることで賃金を稼いでいるのだ。

 

そこで得た賃金を浪費して心を満たす消費思考では一生奴隷のままだ。

 

しかし、現代ではIT分野の発展により労働する以外の方法でお金を得ることができる。

 

貨幣の価値の捉え方は多様化してきて、実際に財布に存在する貨幣の意味はあまりない。

 

労働という概念を取っ払って、働いて時間を売る以外に価値を得る方法はないのか考えていく必要があるのではないだろうか。

 

例えば「note」「voicy」、「タイムチケット」といった媒体を使用する事で、個人の価値を売ることが可能な時代だ。このブログだって価値の1つになる。

 

僕らは僕らにしか作れない小さなピラミッドを作っていこう。

 

そこで王様になって、たくさんの美味しい食べ物と綺麗な奥さん、かわいい子供に囲まれて静かに眠ることを目指そう。

きっとそういう人生の方が楽しいと思う。少なくとも今よりかは。