しょうじきしんどい

海老で鯛を釣ろうと思う。いや、海老はもったいないからミミズでいいや。

南の島のハメハメハ大王が人生なめてる件

僕が小学生の頃、音楽の授業では「みんなのうた」という教科書を使っていた。

 

この教科書は童謡を中心に定番曲から話題の新曲、わらべうた、英語の歌まで幅広くカバーしている優秀な一冊だ。

 

授業ではだいたい2週間スパンで新しい曲を覚えていったのだが、僕がその中で1番好きだった曲は「南の島のハメハメハ大王」という曲である。

 

なぜ僕がこの曲が好きになったのかというと、曲名の横にちょこっとだけ書いてある落書きみたいなイラストが妙に僕の心に刺さったからだ。

 

そのイラストは非常にシンプルで、やしの木が植わっている島の横で王様らしき人が愉快な格好をして踊っていただけだ。

 

なんてことないイラストだったのだが、「南の島のハメハメハ大王」を歌う前の週に「ドナドナ」をはじめとする物悲しいメロディーの曲が何週間か続いていたので、たまたまこの大王が良く見えていただけなのかもしれない。

 

でも僕がこの曲を好きな理由は他にもある。

 

それはこの曲の歌詞だ。

 

■南の島のハメハメハ大王

伊藤アキラ作詞・森田公一作曲

 

南の島の大王は

その名も偉大なハメハメハ

ロマンチックな王様で

風のすべてが彼の歌

星のすべてが彼の夢

ハメハメハ ハメハメハ

ハメハメハメハメハ

 

南の島の大王は

女王の名前もハメハメハ

とてもやさしい奥さんで

朝日の後で起きてきて

夕日の前に寝てしまう

ハメハメハ ハメハメハ

ハメハメハメハメハ

 

南の島の大王は

子どもの名前もハメハメハ

学校ぎらいの子どもらで

風がふいたら遅刻して

雨がふったらお休みで

ハメハメハ ハメハメハ

ハメハメハメハメハ

 

南の島に住む人は

誰でも名前がハメハメハ

おぼえやすいがややこしい

会う人会う人ハメハメハ

誰でも誰でもハメハメハ

ハメハメハ ハメハメハ

ハメハメハメハメハ

 

賢いみなさんはお気づきだろうが、歌詞の大半が「ハメハメハ」で占められていることが伺えるだろう。

 

ちょっと計算してみたのだが、曲の歌詞におけるハメハメハ率(歌詞中の“ハ”と“メ”の割合)はなんと38%もあるのだ。

 

この異常な歌詞に当時の僕は驚きを隠せなかった。

 

おまけに歌詞の内容はくっそどうでもいい内容で、何回読んでも訳分からないし、何が面白いのかさっぱりわからない。

 

逆にこの曲のいいところは、ハメハメハ~♪のところのノリの良いメロディーラインくらいしかない。

 

よくその程度の力量でみんなのうたに食い込んできたなと逆に拍手してしまうレベルだ。

 

そもそも「歌」の起源は、言語と音楽が融合し、宗教による「祈り」が始まりである。

 

より多くの人が同じ気持ちを表現するため、祈りの言葉にメロディーがついていったのだ。

 

言われてみれば賛美歌もお経もある一定のメロディーがついているが、違う言語であってもそのメロディーやリズムに祈りの言葉を乗せるのが歌の始まりと考えられそうだ。

 

その後、祈りだけでなく伝えたい言葉をメロディーに乗せて表現する手法が発展し、現在の歌になっていったのだ。

 

それにも関わらずハメハメハ大王のこの歌詞である。

 

圧倒的に世の中をなめているとしか思えない。

 

以前の僕はそう考えていた。

 

でも、大人になった今、久しぶりにこの歌詞を見て思うことがある、

 

それは、「僕も南の島のハメハメハ大王になりたい」ということだ。

 

僕は常日頃ただただ楽に生きたいと思っている。

 

外敵から襲われずノンストレスで無菌状態の環境を作って、身の回りは全部好きなもので固めてゆるふわな人生を送りたいのだ。

 

僕は事あるごとに楽に生きたいなあと思うし、嫌なことからはすぐに逃げたくなる性分の持ち主なのだが、自分だけが楽でいればそれでいいわけではない。

 

イメージ的には、自分だけ体育の授業をサボって教室で涼んでいても、クラスメートがヒィヒィ言いながら炎天下の中校庭を走っているのを見てても面白くもなんともないような感覚に近い。

 

つまり、僕の楽は僕の周りの人間も楽になってくれないと達成できないのだ。

 

でも僕の周りを見渡してみると、みんなは見えない何かと戦っているし、バンプは見えない物を見ようとして望遠鏡を覗き込んでいる。

 

個人的にはそんな生き方よりももっとゆとりを持ってゆるふわな人生を送った方が幸せなんじゃないかと思うのだ。

 

でも、僕らの人生には様々な罠が張り巡らされていて僕らのゆとりは日々小さくなっている。

 

特に日本人の労働に対する価値観は異常だ。

 

元々そこまで仕事がやりたいわけでもなく、夢もこれといってなかったのに、就職活動をすると自分でも気づかないうちに仕事と人生が重なっている。

 

「ここで働くと人間力が磨かれて将来の夢を実現させるべく成長できる」と謳って、若者の自己実現欲求をエサにして経営者の懐が満たされる構図が成り立っている。

 

僕も含めてまだみんな地獄島に住んでいて、なんだかゆとりがないなあと感じるのだ。

 

ぼくらのゆとりを取り戻すためには住んでいる島を移すか島そのものの構図を変えるかしかない。

 

ここで「南の島のハメハメハ大王」の4番の歌詞を思い出して欲しい。

 

南の島に住む人は

誰でも名前がハメハメハ

おぼえやすいがややこしい

会う人会う人ハメハメハ

誰でも誰でもハメハメハ

ハメハメハ ハメハメハ

ハメハメハメハメハ

 

ここでは島に住む住人の名前が全員ハメハメハであるというなんともマヌケで奇妙な状況を歌っている。

 

しかし、逆に考えると全員がハメハメハ大王と名乗る権利が与えられていてみんな大王になれる状況にあるのだ。とも読み取ることができる。

 

おそらくこの島の人たちは自分が王様だから自分さえよければそれでいいとは思っていないと思う。メロディー的に陽気だしみんなノンストレスで生きてそうだし。

 

だから僕もハメハメハ大王になりたい。

寒い日が続くとより一層その思いは強くなっていくのだ。